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「スターダンサーズ・バレエ団」と私

遠藤善久
30数年に及ぶスターダンサーズ・バレエ団の年表を見ていると、その時々の些細な出来事や様々な人物往来が走馬燈のように脳裏を過ぎる。バレエ活動の大半をバレエ団で過ごした私にとってスターダンサーズ・バレエ団の行く末は、いつまで経っても気になる最大の関心事である。久しぶりにバレエ団の折々の変遷を振り返り、将来あるべきバレエ団の姿形にも思いを馳せてみたいと思う。
バレエ団草創期、私が太刀川瑠璃子はじめスターダンサーズ・バレエ団設立時のメンバーと出会ったのは1965年アントニー・チューダー・バレエ特別公演の前後であった。
当時太刀川は、自らが語るように小牧バレエ団を退団後、ダンサーとしての限界を感じつつバレエからの引退も考えていたようである。しかしきっかけが何であれ彼女のバレエヘの夢は断ち難く、彼女はプロデューサーという最も困難な方法で日本のバレエに貢献する道を選んだようである。
何故ならば良くも悪くも日本の戦後のバレエ界は、自らが表舞台に立ち、振付も制作もこなすスーパーバレリーナを中心に動くのが常であり、太刀川のように第一線のバレリーナが全く裏方に回るケースは希であったからである。そのような彼女の体質の故かどうか、以後30数年のスターダンサーズ・バレエ団史には多くの有能なダンサーや振付家が登場し、その都度バレエ団自身フレキシブルな変貌を遂げてきたように思える。
ともあれ太刀川の最初で最後のプロデュース公演となったA.チューダー特別公演は興業的にはともかく、芸術的には内外に大きな反響を呼び、大成功のうちに幕を降ろした。公演後チューダーの助言もあり、彼女は参加した若いダンサーや振付家たちと共にスターダンサーズ・バレエ団を結成することになる。
尺田知路、小川亜矢子、石垣和代、新井咲子、関直人、厚木凡人等懐かしい顔ぶれが並ぶ。
バレエ団初期の数年間はこのメンバーに私も加わり年数回の創作公演を重ねる。この間、芸術祭初参加で尺田知路の「化粧室」が奨励賞を受賞。指揮者渡邊暁雄の尽力による諸外誠、矢代秋雄等邦人作曲家の登用も大きな話題を呼び、以後武満徹、池辺晋一郎、石井真木、等数々の音楽家がその後のバレエ団活動に登場することになる。当時常にナショナルバレエ創造の夢を語っていた太刀川のこだわりが見えるようである。この時期のバレエ団活動は戦後クラシックー辺倒だった日本のバレエ界に太いに新風を吹き込み、注目を浴びた。
1969年、千葉昭則が芸術監督に就任。小川、新分、厚木等がバレエ団を去るという人物往来はあったものの、創作バレエ中心のバレエ団活動は変わることなく続き、この間、バレエ団は渡邊暁雄を音楽顧問、私が総監督に就任することになった。
翌76年、バレエ団としては初めてフィンランドから外来バレエ教師としてイリーナ・フトーヴァ女史を招く。創作バレエ公演も時と共にマンネリ化のそしりは免れず、フトーヴァ女史の来日を契機にバレエ団は少しずつ海外に目を向け始める。若手ダンサー育成の為にも良質のレパートリーの整備が必要とされた。
そしてその第1弾が1977年、クルト・ヨースの「緑のテーブル」日本初演。チューダーなどにも強い影響を与えたバレエとモダンダンスの融合による近代バレエの傑作である。太刀川とバレエ団は重なる経済的な困難を押して「緑のテーブル」を繰り返し再演、バレエ団の重要なレパ一トリーとした。
以後「セレナーデ」「コンチェルト・バロッコ」「フォー・テンペラメント」等ジョージ・バランシンの傑作の数々、待望だったジェローム・ロビンスの「牧神の午後」等、いかにもスターダンサーズ・バレエ団にふさわしい強力なレパートリーが実現した。このバレエ団の方針はピーター・ライトの「ジゼル」「コッペリア」の上演、来春のウィリアム・フォーサイスの招聘と更に幅広い展開を見せている。
またスターダンサーズ・バレエ団は一連の定期公演とは別にこれまでに数々の記念公演も開催してきた。岩手県遠野市との共同制作による遠野物語「おしらさま」のバレエ化では、地元の協力により伝統芸能の鹿踊りをバレエに取り込んで、御当地遠野と東京で公演。1986年日中友好バレエ公演の際にも北京の観客に日本のオリジナルバレエとして紹介上演された。
先立つ1984年にはエジプトとの文化交流の一環として「動と静一アブシンベルの幻覚」を共同振付、東京〜カイロで上演した。また前記日中共同バレエ公演では中国中央バレエ団との共同制作による「蕩々たる一衣帯水」を東京〜北京両都市で上演、バレエによる国際交流にも大きな足跡を残した。
その他シーズン折々の在京オーケストラとのジョイントコンサート、バレエの啓蒙活動としての学校公演、またおめでたい席へのなり振りかまわぬバレエの出前公演等々、とても紙面には書き尽くせない在団中の思い出力癬ってくる。
1989年、私に代わりバレエ団設立時のメンバーの一人でもある厚木凡人が芸術監督に就任、強烈な個性と指導力によりバレエ団の質的向上に太いに貢献した。また1993年には、初めてバレエ団の過去とは何のつながりもない鈴木稔がバレエマスターとしてバレエ団に登場。世代交替は政治の世界だけではないようである。若いメンバーがバレエ団の将来にどのような青写真を描いているのか、大いに楽しみでもあり、気にもなる。
駆け足でバレエ団の変遷を振り返ってみたが、そこには数え切れない人々の去就があり、数え切れない人々の足跡が刻まれている。改めてバレエ団史の重みに圧倒される思いであった。
(えんどうよしひさ・1975〜1988年スターダンサーズ・バレエ団総監督)

 

 

 

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